国民とともにさらなる挑戦

S N S

岸田文雄は能登震災への初動が遅れた?

例えば能登地震発災から5分後に総理指示を出す、当日にはプッシュ型支援を始めるなど、初動から迅速に対応に当たりました。救命救助、道路啓開、二次避難の支援に始まり、生活・なりわいの再建、インフラ等の復旧、公費解体等に全力を注ぎました。復旧・復興予算も総理退任までに約7000億円を措置し、その規模は熊本地震などと遜色のない規模です。自衛隊による災害派遣も過去最長で実施するなど、岸田政権として全力で震災対応に当たりました。

また、令和7年11月現在で総理時代も含め発災から7回現地を訪問しており、リモートも含めて地元の方々と何度も意見交換するなど、常に被災地に寄り添った復旧復興に当たっています。総理退任後に作った「能登半島地震を踏まえた“被災者目線”での震災対応を実現する会」も、自民党内には能登地震のみを扱う機関がないため(災害全体の会議体はある)、岸田文雄が代表発起人となって、発災当時に政府や自民党で能登地震対応に関わっていた議員に声をかけ「議員の会」を設立したという経緯があります。

岸田文雄は、能登地震が風化しないよう最後の最後まで復興がなされるよう、議員の立場からフォローアップしています。

これまでの取組について詳しくはこちらをご覧ください